« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月

2011年7月18日 (月)

彼岸の人たち

もはや11?12年も前に膠原病で若い命を天に召された、高校生時代の親友のことを急におもいだした。
彼女は私が定食で食事が届いたとき携帯が着信した。。
だけどかけてきたのは彼女じゃなくて、彼女の彼氏だった。

彼女は天に召されました。

そして彼は泣いた。

最近死について考える。
ちょっと前までは自分のこととして。


だけど最近既に彼岸に逝ってしまったひとたちのことを考える。


福島は、宮城はこんなにひどいよ。
こんな酷い世の中でも、きっと生きていてくれたら
はげましあったり助け合ったりできたかな。

いつかはあっちであえる。
それまで彼女がどんなにくるしかったか、
人知れずわらってくれていたか。

いつも言ってるけどさ、
人は希望なしには生きられない。

早く向こうに往って聴きたいこと、聴きたい人がたくさんいる。

だけどもうすこし苦しまないと人生を終えられまい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年7月15日 (金)

7月の読書ノート

1月に始めた読書ノート、記入するたび1月に戻るのがめんどうなので、月ごとに書くことにします。


『野蛮人のテーブルマナー~諜報的生活の技術』佐藤優著
Aきやまさんに誕生日プレゼントで戴いた官能小説(  ̄▽ ̄)と同じ作家(元外務省、鈴木宗男と共に背任容疑で逮捕される)の本が兄の送ってくれた荷物に入っていた。

いやはや、外務省が本当にこんな下品な世界で、政府も馬鹿なら、
当然外国からの評価もいわずもがな。
いっそ先進国の看板なんか下ろした方がいいんじゃないのかな。。


『蟹工船』小林多喜二著
プロレタリア小説を読んでいた時期があって、マイナーな作家ばかり(私には)の全集だったので、
今さら大メジャーな蟹工船は読んだ気になってしまっていた。
去年だか一昨年、また売れ出したのが分かる気がする。

さっきも書いたけど、景気が悪い、ニートが多い、年金未納者最大、
こんなときに近隣の元気いっぱい体力も粘りも強い、そして日本人が大嫌いな国と仲良くするより(経済でも負けてるのに経済支援とは何の冗談かいな)、
もう先進国の看板下ろして素朴に暮らしたらいいじゃん。

東電と国で有り金はたいて被災地を復興して、貧乏になったらそれなりに幸せに暮らしたらいいじゃん。

そんな軟弱非国民と呼ばれそうな感想でした(-.-)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年7月 3日 (日)

広島原爆の翌日

広島に派遣?(昔の軍隊の表現がわからない)された私の大叔父は、ついさいきんまで弱いからだで生きていた。
そして90歳くらいまで生き、亡くなった。

私が小学生の頃、祖父(大叔父の兄にあたる)が膵臓ガンにかかり、たった4ヶ月で亡くなった、
その頃に初めて会った。

大叔父(以下おじさん)は仙台市内の小学校の校長先生だった。
師範学校を出て戦争を体験し、また学校勤務に戻ったのだろう。
祖父の援助もあったのかもしれない。

飲兵衛の祖父が急に飲まなくなり、バタバタ入院して数ヶ月で亡くなると、何かと訪れて祖父の位牌に手を合わせにきてくれた。

祖父とおじさんはそっくりだった。

祖父母は兄にゾッコンだったと記憶している。
性格の良い悪い抜きに、こういうことは忘れないものだ。
別に恨んでいる訳でもない。
長男から生まれた長男は祖父母から特別に大切にされるのは太古の昔から決まっていることだ。


おじさんは、手前味噌だが…祖父と同じ顔で私を特別可愛がってくれた。
いろいろなことを、やさしく教えてくれた。
私は何十年もおじさんに会えなかったが、亡くなってしまってとたんにメソメソ泣き出した。

おじさんにもっと教えてもらえばよかった。
可愛がられて嬉しくて甘えてばかりで、戦争のこと、原爆のこと、もっと聞けばよかった。


父が私があんまり悲しむので、おじさんの写真を送ってくれた。


気持ち悪いよなぁと思いつつ、おじさんの写真に話しかけたりする。


悲しくて悲しくて涙がどんなに出ても、おじさんは広島で被爆して、弱った体で90年もいきた。


私はおじさんにもう甘えられない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »